自分にとって算数は恐怖です
小学生の時は算数がめちゃくちゃ苦手で一度も30点以上を取ったことがない。
本当に酷かったから土曜日も学校に行くことがあった(サタデースクールというめんどくさい日があった)。
朝の体育館集合(校長の話とか聞くやつ)の時に自分1人だけ担任に呼び出され、
「算数のテストの点数が酷すぎるので放課後勉強しましょう」と言われた。
その後毎日放課後に、居残りで算数を勉強することになった。
その居残り勉強の初日はかなり記憶に残っている。
「算数のテストの点数がひどすぎるので放課後勉強しましょう」と言われ、居残り勉強は来週からと告げられた。
言われてから一週間あったのだが、
この時自分は
「一週間経ったら後藤(担任の先生)居残りのこと忘れてんじゃね?」
あ
と心の中で思った。
そして一た週間後の居残り勉強開始の日になったのだが、その時自分くにはある計画があった。
その名も「一瞬で下校作戦」
計画はこうだ。
「後藤にバレないように帰りの会が終わった瞬間一瞬で帰る。俺の席は後ろだから絶対バレない。
そしておそらく後藤は居残り勉強のことを忘れている」
これだ。
この計画は居残り勉強の権利を得た自分一人の単独作戦だったので、友達にも言っていない。
というか恥ずかしくてこんなことは言えない。
その日の後藤はやたら機嫌が良かった。
なぜかは忘れたけどめちゃくちゃ機嫌が良くて「これなら絶対いける」と確信した。
1時間目が終わり、2時間目が終わり、3時間目が終わり、どんどん緊張感が高まっていく。
この日は自分にとって大きな山場。
これを乗り越えることができれば文字通り「自由」。
この「自由」を手に入れるために一週間前から作戦を練った。
さらにこの日は後藤の気分が絶好調。
確実に「自由」を手に入れられる。
5時間目か6時間目が終わった後、その日初めて後藤と接触した。
そして「勉強〇〇」と言われた。それは会話というよりながら作業。
「勉強〇〇」と直接言われたわけではなく、歩いている途中(通りすがり)に「勉強〇〇」と言われた。
通りすがりに「勉強〇〇」と言われたので、「勉強〇〇」の「〇〇」が全く聞き取れなかった。
そして通り過ぎた瞬間、頭に電流が走った。
1つの仮説が生まれる。
「もしかすると後藤は(居残り勉強のことを)覚えてるのかもしれない!?」
これは大変だ。
今まで考えた計画が台無しになる。
「もしかすると覚えているかもしれない」という気持ちと「いや、あれは違う内容だった」という気持ちが交互に出てくる。
当然このことも友達には言っていないので一人で考えるしかない。
その言葉を言われた後、一旦席に着きゆっくりと呼吸を整えた。
この時頭の中では
「どうしようか?」
「これは計画を実行するべきなのか?」
「いや待て、今までは計画を実行するのみだったが、よくわからないことを言われて実行しないという選択肢も出てきてしまった」
「これはまずい」
「もしバレたらどうなる?」
「居残り延長にでもなったらさらに大変だぞ」
「実行するべきか?」
「しないべきか?」
という感じ。
そんなことを考えていたら、もう帰りの会が始まっていた。
「もう時間がない、早く決めないと」
おそらくこの日が小学校生活で最も頭を使った日。
教室の時計を見ながら頭の中で「〇〇分に終わりそうだから、〇〇分にここを出て、〇〇分に下駄箱に到着、〇〇分に校門を出れば逃げ切れる」と計算していた。
そしてついに帰りの会が終わった。
あとは「さようなら」の挨拶のみ。
「もう実行するしかない」
そう決断した。
「さようなら」の「な」らへんで後ろのドアを開け走り始めようとしたその時、
「スガァワァラァァァ〜!!!!!」という雄叫びが響いた。(めちゃくちゃ怒ってる感じ)
周りのクラスメイトは後藤がなぜ菅原を呼んでいるのかわからない。
突然の雄叫びに慌てた表情をしていた。
当然自分自身が1番慌てた。
めちゃくちゃデカい声を急に出すもんだから、呼ばれた瞬間「終わった...」と心の中で呟いた。
「菅原を呼び戻せェェェ!!!」と後藤が自分の周りにいたクラスメイトに言い、自分は教室に連れ戻された。
「お前ェ!居残りで勉強するんじゃねぇーのかよォォ!!!」
「そうです」
「じゃあァなんで帰ろうとしてんだよォォォ!!!」
「忘れてました」
「忘れてましたじゃねェェェだろォォォ!!!お前のために時間取ってんだよォォォ!!!」
「今からやります」
「今からやりますじゃねえェェよォォ!!!ふざけんなァ!!!やる気ねえェならもう帰れェェェ!!!」
「やって帰ります」
「もういいよォォォ!!!お前はやる気ねえェんだろォォォ!?さっさと帰れよォ!!!」
超弱虫だった自分は泣き始め、後藤は教室を後にした。
結局次の日から毎日居残り勉強をすることになり、作戦を実行したことを深く後悔した。
毎日居残り勉強をしたわけだが、その後算数に対してさらに恐怖を抱き、成績は海に沈んでいく錨(いかり)のようにどんどん下へと落ちていった。
一つ言い忘れていたことがある。
菅原が今までの人生で1番嫌いだった担任「後藤」は女である。